この記事は、令和3(2021)年1月1日にFMピッカラで放送されたラジオ番組「協力隊のいっぺこと話したい 2021新春スペシャル」を元に制作しています。
この記事の出演者
小柴康隆隊員(写真左、高柳町門出集落地域おこし協力隊)
高橋裕美さん(写真右、FMピッカラ)
海の柏崎で、山里の高柳に住まう
小柴:海の柏崎ですが、山里の高柳から参りました、小柴康隆です。よろしくお願いします。
高橋:よろしくお願いします。全国的には海の柏崎と言われていますが、高柳は山間部ですものね。
小柴:山あいに入っていった里で、雪も降るところです。
高橋:小柴さんはどちらのご出身ですか?もともと新潟県柏崎市はご存じでしたか?
小柴:隣県の、福島県会津若松市出身です。柏崎のことは、正直それほど知りませんでした。門出に来ることをきっかけに知りました。
高橋:海の柏崎ということはご存じでしたか?
小柴:海沿いにあるということは知っていました。
高橋:来てみたら、山の高柳。
小柴:山の生活をしているので、どちらかと言うと海の柏崎を実感できていません。夏になったら遊びたいと思っています。
高橋:会津若松も海沿いではないですものね。
小柴:山に囲まれた盆地なので、新潟寄りの文化だと思います。
協力隊になり、山間部の暮らしや文化を学びながら暮らす
高橋:協力隊として着任されたのはいつですか?
小柴:令和元(2019)年8月に着任し、1年半ほど経ちました。
高橋:隊員になる前はどんなことをされていたんですか?
小柴:地元の観光・接客系の専門学校を卒業後、地元の旅館で働いていました。退職し、事務職に就いていましたが、自分がこれからやってみたいことを考えて、協力隊に応募しました。山間部の暮らしや文化を学び、生き方を考えてみたいと思いました。
高橋:会津若松は歴史のまちのイメージがありますし、人口も多くて山間部ではないですか?
小柴:住んでいたところは城下町で盆地だったので、山は近いけど、生活に山が入ってくることはありませんでした。
高橋:会津若松にいて、新潟は山間部・田舎の暮らしのイメージがありましたか?
小柴:会津の人は新潟市に遊びに行くので、新潟の方が都会のイメージがありました。
高橋:では、なぜ協力隊になったのですか?
小柴:山間部の暮らしや文化を学びながら、その中に入って暮らせる環境を探していたとき、協力隊を紹介してもらいました。3年ではありますが、自分の考え方を見直してみようと協力隊になりました。
高橋:協力隊はいろいろな地域で募集していると思いますが、門出を選んだのはなぜですか?
小柴:今まで勉強してきたことや仕事で経験したことを生かして、協力隊の活動ができないかと思っていました。探していたところ、門出で宿の仕事をしながら、自然体験インストラクターの補助ができることを知り、現地体験に応募しました。門出ののどかな雰囲気と、世話人のおおらかな考え方・自然との付き合い方の考え方を聞き、こんな方に教わってみたいと協力隊に応募しました。
かやぶきの宿を切り盛り
高橋:門出というと、山間部なので農業のイメージがありますが、旅館のお仕事をされているんですね。
小柴:かやぶきの宿を村の組合でやっていて、お手伝いをしています。宿のことと言えば、番頭さんのような布団敷きもあるのですが、宿では地元のベテランお母さんが作ったお料理を出しています。少しではありますが、昨年からその料理に使う野菜を育てています。専業農家さんほどではないのですが、生きる糧を学んでいます。
山の文化を学ぶ「大地の学校」
高橋:里山インストラクター「大地の学校」ではどんなことをしているんですか?
小柴:大地に根差した暮らしを取り戻したい、若い人に伝えていきたいという思いが先任の小林康生さん(門出ふるさと村組合長、越後門出和紙代表)にあります。インストラクターの補助ではありますが、私自身も受講生のような気持ちでいます。「山に入ったらこんな植物がある」「こんな植物を使うと箸やようじにできる」といった、康生さんが今まで経験してきた暮らしの知恵や山の文化を伝える教室です。
高橋:「この木だと箸が作れるよ」「このキノコなら食べられるよ」というような暮らしについて学ぶんですね。その補助と見習いをされているんですね。
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